24年シーズンのキーパーソン 第1回《松並昂勢》


松並昂勢は福岡・自由ヶ丘高3年時の全国高校駅伝4区(8.0875km)で区間賞を獲得した選手。だが青山学院大では一度も箱根駅伝に出場することができなかった。低迷したと受け取られがちだが、この10年で箱根駅伝優勝7回の青学大チーム内で切磋琢磨し、成長していた部分もあった。入社後初レースの金栗記念選抜中長距離熊本大会(4月13日)5000mでは、早くも自己記録を更新した。松並はどのように、実業団競技生活に適応しようとしているのだろうか。

●青学大4年時の箱根駅伝は山下り6区の控え

今年(24年)の箱根駅伝で7度目の優勝を達成した青学大で、松並は6区(20.8km。山下り区間)の控え選手だった。6区を走ったのは1学年後輩の野村昭夢で区間2位。復路(大会2日目)のスタート区間で2位以下との差を広げ、青学大の総合優勝に大きく前進した。
松並は昨年まで、箱根駅伝16人のエントリーメンバーに入れなかったが、今年は野村に近い力があったと言われている。本人にも自信があった。
「昨年の箱根は大会直前に野村がケガをして、控えだった選手が走ったのですが、(区間20位と)上手くいかず負けてしまいました。今年はチームとして同じレベルの選手を2人揃えようと取り組んできて、自分も下りを走る準備を繰り返してきました。野村の方が状態が良かったんですけど、自分が出場しても彼に近い走りはできた自信がありました」
大学1年時は完全に力不足だった。2、3年時はそれも力不足に含まれるが、ケガが多く試合に合わせることができなかった。レベルの高い青学大でメンバーになるには、1週間に2、3回行う負荷の高いポイント練習以外でも、質の高い練習を行わないといけない。そこで無理をしてしまった。
松並は「自分の意識の問題だった」と問題点を洗い出し、どうしたらレースの走りにつながる練習になるかを考え続けた。
「目の前の試合にこだわりすぎることをやめて、1年間の流れを見て、練習を組み立てることを考え始めました。ポイント練習以外、特にジョグの走りを、今の自分にはどのペースが最適かを冷静に判断するようにしたんです。その結果レースに向けて余裕のある状態を作ることができて、試合で結果が出始めました」
4年時に5000mで自身初の13分台(13分54秒45)をマークし、10000mも29分33秒40の自己新。10000mは出場機会が少なかったが、山下りの練習が多くなっていた11月後半でも29分36秒57と自己記録に迫った。
それでも高校時代に世代トップレベルで活躍した選手が、4年間箱根駅伝に出られなかった事実は残る。そのことについては「悔しさがすごく残りました」と隠さず話す。「それが今の自分の原動力です。何をするにしてもその悔しさは忘れずにやっていきます」

●黒崎播磨で目指すニューイヤー駅伝優勝とマラソン日本代表

黒崎播磨入社を決めた理由は、松並自身も地元の北九州市出身いうことに加え、「チーム全員が速さと同時に強さも持っている」と感じられたからだという。
2月末には黒崎播磨の練習に合流。最初は練習スタイルの違いに戸惑った。
「大学時代とはインターバル(400m10本や1000m5本など)の距離や本数、ペース設定で違いがあり、疲労がたまる原因になっていました。ようやくそこに慣れてきて、疲労の抜き方や練習への臨み方、ジョグの走り方を調整して、それらのサイクルが上手く循環させられるようになってきました」
松並自身は“ようやく”と話したが、その成果が“早くも”表れた。実業団選手としての初戦の金栗記念5000mで13分53秒55をマーク。0.90秒ではあるが自己記録を更新した。ルーキーイヤーの24年度中に「5000mは13分45秒、10000mでは28分20秒、ハーフマラソンでは1時間01分20秒」まで自己記録を伸ばしたいという。
「実業団はジョグのコースや時間を、自分で考えて練習ができます。寮が1人部屋で授業もないので、コアトレーニング(体幹トレーニング)を行うなど時間の使い方も工夫できるので、行動の幅が広がりました。だからこそ、結果が求められる厳しさもあります」
自身を厳しく律する行動力の源が、箱根駅伝に出られなかった悔しさだが、どんな行動をするか客観的な判断力も求められる。
「悔しさだけではなく、実業団で成し遂げたい目標を冷静に見て、(練習などの)流れを理解してやっていきます。ニューイヤー駅伝の優勝に1年目から貢献したいですし、将来的にはマラソンで日本代表になりたい」
育成力が高く評価されている黒崎播磨に入社し、松並がどんな成長を見せるのか。実業団初戦の自己新で期待がさらに大きくなった。

TEXT by 寺田 辰朗

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