黒崎播磨の23年度シーズンをプレイバック②


2023年度の黒崎播磨はチーム史上最高レベルに成長した。全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)の黒崎播磨の過去最高順位は、12回大会(1967年。当時は12月開催)と66回大会(2022年)の6位だが、24年元旦の68回大会で4位を達成した。マラソンでは五輪代表入りこそ逃したが、日本マラソン界初の快挙も実現している。トラックでも日本選手権10000mで8位入賞した。五輪&世界陸上の日本代表入りや、駅伝での選手層の薄さなど課題も残ったが、黒崎播磨が日本屈指の育成力を持つチームになったことは間違いない。それを実証した23年度シーズンを①~③と分けて振り返る。

細谷と土井のエース2人が示した黒崎播磨のマラソン力とは?

マラソンの2人が異なる強さを見せた。
細谷恭平は24年3月の東京マラソンで2時間06分55秒の12位(日本人3位)。難しいスケジュールの中で、セカンド記録で走った。土井大輔は24年2月の大阪マラソンで2時間06分54秒の5位(日本人4位)。狙った通りの練習を行って自己新記録で走った。同一チームの2選手が、同一年に2時間6分台を出したのは日本マラソン界初の快挙だった。
細谷のMGC(23年10月。マラソン・グランドチャンピオンシップ。パリ五輪代表3枠のうち2人が決定)は不運としか言いようがなかった。28kmで後ろの選手と脚が接触して激しく転倒。痛みが激しく走り続けることはできなかった。MGCファイナルチャレンジ(12月福岡国際、2月大阪、3月東京の3大会)で設定記録の2時間05分50秒を突破し、記録最上位になることがパリ五輪への残された道だった。
1カ月半の間隔で出場した福岡国際は日本人トップ(4位)をとったが、2時間07分23秒。終盤の向かい風と、外国人選手たちが記録を狙わず牽制したためペースが上がらなかった。

福岡国際から1カ月後のニューイヤー駅伝にも出場(最長区間の2区で区間賞選手と1分04秒差の区間8位)。さらに2カ月の間隔で出場した東京で、「(ハードスケジュールに)ビビっている場合じゃない」と設定記録突破に挑んだ。
しかし25km手前で日本人先頭集団から後れ始め、「1月に練習が不十分だった」(澁谷明憲監督)影響が出た。それでも「あきらめたら収穫なく終わってしまう」(細谷)と気持ちを切らさなかった。「40km手前がMGCで転倒した場所だった」ことも、細谷を奮起させた。ペースダウンする選手たちを次々に抜き、自身2度目の2時間6分台でフィニッシュした。
五輪代表には届かなかったが、「細谷は国際大会でも結果を出すタイプ」という評価を、長距離指導者間で得る走りだった。
土井の大阪は日本人4位ではあったが、前年の大阪で出した自己記録を1分01秒更新した。「五輪代表に届かず悔しい気持ちもありますが、やることをやってきて当日も力を出せました。それで届かなかったら仕方ありません。1年の成長は出せました」と清々しい表情で語った。
黒崎播磨の練習パターンを、土井が自分のモノにしたことが好成績の要因だ。練習のタイムは決めないが、距離や本数などのパターンは変更しない。「以前より1つ1つの練習に少しだけ余力を持てるようになりました。それが狙った試合に合わせることにつながりました」
もう1つの要因はメンタル面だ。今回も2時間5分台を出すための練習を行い、実際に手応えもあった。だが大会前に目標を問われても「2時間7分台」と言い続けた。
「狙うことを意識しすぎると疲れてしまいます。その時点の力を出し切ってダメなら仕方ない、と考えられる試合が多くなってきたことで、力を発揮できるようになってきました」

異なるパターンで、同一シーズンに2人が2時間6分台をマークした黒崎播磨。五輪&世界陸上のマラソン代表入りも、遠くない将来に実現させるだろう。

TEXT by 寺田 辰朗