黒崎播磨のアスリートたち 第8回《細谷恭平》

細谷恭平がシカゴ・マラソン(10月9日)で6位、2時間08分05秒という結果を出して帰国した。自己記録は更新できなかったが、海外のワールドマラソンメジャーズで6位に食い込んだことは客観的には評価できた。
細谷のマラソン全成績は以下の通りである。
20年3月 びわ湖120位・2時間28分47秒
21年2月 びわ湖3位・2時間06分35秒
21年12月 福岡国際2位・2時間08分16秒
22年10月 シカゴ6位・2時間08分05秒
細谷自身と澁谷明憲監督は、シカゴの結果をどう評価し、どう位置づけて次に進もうとしているのだろうか。黒崎播磨で現在、世界が最も近い男の歩みを報告する。

●世界トップ選手たちをシカゴ・マラソン後半で次々に抜き去った細谷

細谷にとって初の海外マラソンは、予想していたことではあるが、国内レースとは勝手が違っていた。
5日前にシカゴ入りしたが、練習場所にトラックが確保されていたわけではない。代理人のアドバイスを参考にミシガン湖沿いに、スマートウォッチを使って自身でコースを設定し、ジョグや最終刺激を行った。路面の硬さが日本とは大きく違い、「脚の張り方がいつもと違う」と感じてもいた。

Photo by インプレスランニング

 レースではペース選択が焦点の1つだった。ペースメーカーの中間点通過タイムは第1グループが1時間02分00秒、第2グループが1時間03分00秒に設定されていた。ワールドマラソンメジャーズ(世界トップレベルのボストン、東京、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴの6大会)だけあって、2時間5分未満の自己記録を持つ選手が多数エントリーしていた。出場選手のレベルはびわ湖や福岡国際よりも高い。
シカゴ市街を南北に何度も往復するように周回するコースは、曲がり角が多く、前述のように路面の硬さも違う。細谷が選んだのは1時間03分00秒の第2グループだった。1kmに換算すると2分59秒17である。国内マラソンでは5km毎が15分00秒ペースに相当し、細谷が出場したなかでは21年びわ湖がそうだった。
1時間02分00秒を選択する方法もあった。1km換算2分56秒32になる。細谷は21年福岡国際で2分58秒ペースを経験しているが「2分56秒は速い」と思ってしまった。「2分58秒のペース設定があれば選んでいましたが…」
確実につけるペースを選んだが、ペースメーカーが安定しなかった。5km通過が15分00秒だったが1km3分00秒平均で進んだわけではなく、最初はそれより速く入り、徐々にペースを落としての15分00秒だった。そしてわずか10kmでペースメーカーがいなくなった。中間点は設定よりも遅い1時間03分46秒の通過で、細谷は11位集団に入っていた。10人の先頭集団とは1分22秒差があった。
10kmからは7位に入ったC・マンツ(米国)が主にレースを引っ張ったが、30km以降は細谷も「出し切る勢い」で10人いた集団の前に出た。タイム自体は上がっていないが、35kmでは10位、40kmでは7位、そしてフィニッシュでは6位に順位を上げていた。
「目標は8位だったので、順位だけを見れば達成できたのですが、後方から追い上げたのでは限界があります。2分56秒が速いと思ってしまう今の頭(意識)のままではダメだと、再認識したレースでした」
細谷自身は厳しめの自己評価だが、客観的に見れば高く評価できる。澁谷監督は「ワールドマラソンメジャーズで6位というのは、細谷に“肩書き”が付いたことになります。世界的に見た細谷の価値が上がり、今後海外のレースにもエントリーしやすくなる」とシカゴ遠征の成果を話した。

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●過去最高の手応えだったシカゴ前のトレーニング

澁谷監督はシカゴの細谷について、「後半順位を上げるレースも今の細谷ならやれて当たり前ですが、少しずつステップアップするところが黒崎らしさですかね」という指摘もしている。トントン拍子で日本記録(2時間04分56秒)や2時間5分台に到達しなかったことを指している。
レース前日に細谷から電話があり、1時間03分00秒ペースを選択したと聞いたとき、澁谷監督は1時間02分00秒を選択してほしかったと感じたという。日本記録に挑戦する練習もできていたからだ。しかしレース直前に、選手の判断を無理矢理変更させたら走りに影響してしまうかもしれない。「それなら後半で順位を上げていこう。ペースメーカーにも頼ったらダメだ」と、細谷の判断を後押ししながら話をした。「今回は本人の心の準備ができていなかった。そういうところを作って挑ませてあげられなかった監督も力不足でした」
そのくらい練習では手応えもあった。最後の40km走は過去一番速かったし、レース10日前の20km走も59分03秒で行っている。
澁谷監督は「調子が良いときは、その20kmがピークになってしまわないように私が声をかけて抑えさせたりするのですが、今回の20kmは動き自体はそれほど良くなかったんです。それでもタイム的には良かったので、マラソン本番に動き的にもピークが合うと期待ができました」とシカゴ前の練習を説明する。
腰回りや背中、脚の筋肉の付き方が21年のびわ湖、福岡国際の頃よりもしっかりしてきたという。
細谷本人も「体の状態を良いところにもって行けたことが、シカゴの後半に少なからず生きたと思います。黒崎播磨の練習を継続していけば、もっと上を狙うことができる」と手応えを得た。
今回のシカゴ出場は、代表に決まっていたアジア大会(22年9月開催予定)が延期になり、1カ月スライドして出場した。練習期間が長くなったことにも対応したが、来年の秋開催のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。パリ五輪代表最重要選考レース)に向けて、「この時期のトレーニングができ上がったことがよかった」と澁谷監督は説明する。黒崎播磨の練習パターンが、また1つ蓄積された。
パリ五輪代表を狙うのは1年後だが、その前にシカゴの経験を踏まえ、細谷にはやっておきたいことがある。
「今回のシカゴ遠征は、古門大典トレーナーには現地まで来てもらいましたが、監督は来ないで選手の僕に任せてくれました。1人で海外レースを乗りきった経験は今後につなげられると思います。現地の黒崎播磨支社の方たちが沿道で、会社の旗を持って応援してくれたりしたことも、海外でも知り合いがいてくれる心強さがありました。そうした方たちに、今回の経験を結果につなげて恩返しがしたいと思います。まずは次のマラソンで日本記録に挑戦します」
一気に花開くことはなかったが、周囲のサポートを力に確実にステップアップする。シカゴの細谷は、黒崎播磨らしいスタイルで前進していることを見せてくれた。
TEXT by 寺田 辰朗

Photo by How Lao

 

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