黒崎播磨のアスリートたち 第7回《長倉奨美》

入社2年目の長倉奨美がマラソンに情熱を見せている。大学時代の箱根駅伝は11位でシード権を逃し、悔しい思いを残して黒崎播磨に入社してきた。だが黒崎播磨で駅伝とマラソンに取り組むことが、長倉のモチベーションを高めている。1年目(22年1月)のニューイヤー駅伝は6区で区間23位。好成績とはいえないが、チーム過去最高順位タイの6位入賞メンバーに入った。1~2月には2週間間隔で、ハーフマラソン2本を連続自己新で走ってみせた。この夏以降の練習ではマラソンへの適性を見せ始めている。

 

●高校1年時に接点があった黒崎播磨の55年ぶり入賞メンバーに

長倉が黒崎播磨に対し、憧れに近い感情を持ったのは高校(宮崎日大高)1年時の14年度シーズンだった。まだ陸上競技についてもトレーニングについても十分な知識は持っていなかったが、黒崎播磨の合宿に参加し「これからどんどん強くなるチーム」だと直感した。
2年後の16年には園田隼(21年3月に引退)が福岡国際マラソンで4位に入った。園田は18年にアジア大会出場、19年には田村友佑が世界クロスカントリー選手権出場、21年には細谷恭平がびわ湖マラソンで2時間06分35秒と、長倉の直感通りに黒崎播磨はチームとして成長した。
だが長倉自身は、順調な成長ができなかった。高校では全国大会に駒を進められず、学生(明大)時代は故障が多く、1年時は貧血も加わって「半年しか走れなかった」(長倉)。2年時に故障が減って「土台を作ることができた」が、3年シーズン前半は再度故障をして棒に振った。3年シーズン後半から4年にかけて練習が継続でき、4年時の11月には5000m13分50秒72、10000m28分36秒54と自己記録を大きく更新した。
ただ、4年時に初めて出場した箱根駅伝(10区区間10位)は、シード圏の10位の選手に一時19秒差まで迫りながら、その後は差を広げられてフィニッシュした。その悔しさも糧に、黒崎播磨で新たな目標に向かい始めた。
入社直前の取材では「マラソンで先輩方が良い走りをされています。自分もそういう舞台で結果を残したい。ニューイヤー駅伝でも、黒崎播磨は入賞から遠ざかっているので、目標である入賞の力になりたい」と話していた。
そして1年目のニューイヤー駅伝で6区に起用され、5区の土井大輔から4位でタスキを渡された。5位の旭化成には6秒差があったが、旭化成は10000mで長倉より1分半近くタイムが上の鎧坂哲哉だった。4km付近で抜かれてしまったのはやむを得ない。
52秒後にスタートしたトヨタ自動車は同学年の西山和弥である。10000mではやはり1分の違いがあり、10km付近で追いつかれた。「向かい風は予想していたことですが、予想以上に苦しい走りになってしまいました」。だが最後は西山に、同タイムだが胸ひとつ先着して7区の中村優吾にタスキを渡している。
旭化成、トヨタ自動車といった優勝候補チームは選手層が厚い。6区や7区にも27分台ランナーを残しておくことができる。7区の中村優吾はトヨタ自動車に抜かれて差をつけられたが、SGホールディングスに追い上げられながらも2秒差で逃げ切った。6区までを走った全員が貯金をしたからだが、長倉の最後の踏ん張りも大きかった。
長倉自身は初のニューイヤー駅伝を「悔しい走りでした」と振り返るが、澁谷明憲監督は「想定の範囲内で走ってくれました。ゲームチェンジャーになる力はありませんでしたが、今の力は出し切った」と一定の評価を与えている。
高校1年で初めて黒崎播磨の練習に参加した長倉が7年後に、入社1年目で黒崎播磨の55年ぶり入賞の力になった。

●黒崎播磨で大きくなったマラソンへの意欲

もう1つの目標であるマラソンに、長倉は2年目で挑戦しようとしている。手始めに、1~2月にハーフマラソンを連戦した。
1月30日の大阪ハーフマラソンは1時間02分21秒の14位、2月13日の全日本実業団ハーフマラソンは1時間02分11秒の65位。2大会とも自己新だったが「欲を言えば全日本は1時間1分台で走りたかった」と満足していない。しかし2週間間隔の連戦を乗りきったことは、学生時代に故障に苦しんだことを考えれば評価できる。
普通の選手であれば尻込みするハードスケジュールだが、2本の間の練習を「疲労を抜きつつ、一段階上げる内容」を行うことができた。「そういうタフさをこの1年で付けていきたい」と積極姿勢で連戦に挑んだ。澁谷監督は「ウチのチームでは普通のこと。特別とは思わなかったでしょう」と、長倉の意識レベルも上がったと見ている。
3月の東京マラソンでは女子世界記録保持者のペースメーカーを、チームの先輩の吉元真司とともにつとめた。将来、マラソンで戦うことを考えて、国際大会の雰囲気を経験することが目的だった。「独特の緊張感があった」ことを、自身のマラソンにどうつなげていけるか。
夏合宿以降、マラソン練習メニューである40km走も3本行っている。澁谷監督は「マラソンの適性がない選手は疲れを上手く抜くことができず、練習全般のタイムが落ちていくのですが、長倉は1本目より2本目、2本目より3本目と、前後に30km走なども組み合わせながら走りがよくなっている。この冬に初マラソンを走ることができますね」とゴーサインを出している。
しかし澁谷監督は「体ができるのが遅いので大学3年までケガが多かった。今は練習ができるようになりましたが、まだ線が細いですね」と厳しい見方も。いきなりトップレベルの快走ができるかどうかは未知数だ。
その一方で「特に距離を積むことや継続することなど、練習の理解度が上がってきた」とプラスの評価もしている。長倉は細谷恭平、土井、坪内淳一の黒崎播磨勢3人が2時間6~8分台を出した21年2月のびわ湖マラソン直後に入社した。そしてチームの先輩たちのマラソンへの取り組みを見て、自身の競技への取り組み方や練習のレベルが上がった。
今シーズンはトラックの記録が良くないが、10000mで日本代表を狙うまでに成長した田村友佑にも停滞期があったように、長倉も練習のレベルが上がったことで、レースでの出力が少し抑えられた時期にいるようだ。11月以降の駅伝・ロードレースでスピードを出す体に調整し、来年2~3月のマラソンに合わせて行く。
初マラソンの目標を長倉は「1km3分00秒ペースで進めてどれだけ粘れるか。チャレンジする気持ちしかありません。高いレベルで初マラソンを走ってみたい」と考えている。
1km3分00秒ペースは5km15分00秒、中間点(ハーフ)が1時間03分18秒通過で、フィニッシュは2時間06分35秒になる。中間点はハーフの自己記録よりも1分しか余裕がない。自らそのハイペースに飛び込み、どんな結果を得て、そのプロセスで何を学び取るか。黒崎播磨で吸収したマラソンをこの冬に実行に移す。 TEXT by 寺田 辰朗

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