黒崎播磨のアスリートたち 第1回《土井大輔》

キャプテンの細谷恭平がアジア大会マラソン代表入りした黒崎播磨陸上競技部。トラックでは田村友佑が代表を狙えるレベルに成長し、マラソンでは土井大輔たちもMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。23年秋開催のパリ五輪代表最重要選考会)出場権獲得に意欲を見せ、細谷に続こうとしている。ニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)も、チーム過去最高順位タイの6位に食い込んだ。選手個々がしっかり自分と向き合っているからチームの成長がある。黒崎播磨の選手たちが現在、どんなテーマをもって競技に取り組んでいるのかを紹介していく。

土井大輔は21年2月のびわ湖マラソンで2時間08分13秒(21位)と、従来の初マラソン日本最高に1秒と迫る快走を見せた。しかし2度目の大阪マラソン(22年2月27日)では2時間10分56秒の18位。2度目が大事といわれているマラソンで失敗してしまったが、土井本人は「2回目で失敗してよかった」と言う。その真意は?

●初マラソン以上だった2回目のマラソン練習

レース直後の土井は「なんで走れなかったのか。練習は確実に、去年以上にできていたのに」と首をひねった。
7月に5000m13分47秒41、11月に10000m28分19秒78の自己新を出し、トラックのスピードを駅伝に結びつけ、さらに距離を伸ばしてマラソンに結びつける。マラソンを最大目標に年間を通して練習を進められた。
「1月からマラソン練習に本格的に入って、初マラソンのときと同じ流れでメニューをこなして、距離走のタイムは前回よりよくなりました。15kmの単独走は40秒速くできましたし、その中で余裕も持てていました。一番はマラソン2週間前に出場した全日本実業団ハーフマラソンです。1年前より34秒速いタイムでしたがペース走くらいの感覚で、動きもしっかりと意識して走ることができていました」
ジョグも1日10分は増やした。わずか10分と言うなかれ。それまでも精一杯やっていた中で10分を上積みするのは、かなりの負荷を増やすことになる。月にすれば100km多く走ることになるのだ。
1年間の練習を振り返った内容は、マラソンで結果を出した選手のもののようだった。

●敗因は「考えすぎてしまった」こと

それでも失敗してしまった。「走れなかった要因が必ずある」と、スタッフにも話を聞き、原因を明らかにしようとした。思い当たったのは以下の2つである。
1つめは世間からの注目が大きくなり、「変にプレッシャーをかけてしまった」ことだ。レース前々日の記者会見にも出席を求められた。席上、落ち着いて話していたが、知らず知らずのうちに、必要以上に硬くなっていたのかもしれない。
もう1つは「2回目ということで色々と考えすぎてしまった」ことではないか、と考えている。
「初マラソンは30km以降でペースが落ちましたが、それも仕方ないことだと受け容れて走っていました。それが2回目は、30km以降で勝負をするために前半で余裕を持たないといけない、と意識しすぎてしまったんです。10kmや15kmで少し余裕がなくなっただけで、30km以降のことを心配してしまった。びわ湖は気象条件が良すぎるくらいでしたが、大阪は気象条件もそこまで良くなかったですし、コースのアップダウンもびわ湖よりあります。色々なことを考え過ぎてしまって、気持ち的に引いてしまったところがありました」
失敗の原因がわかってくると、自身の不甲斐なさに落ち込んだが、冷静に考えると、練習などマラソンへの取り組みに間違いがあったわけではない。失敗したのはレース中の気持ちのもって行き方や、直前のプレッシャーへの対処の仕方くらいだった。
「2回目が失敗しましたが、取り組み自体を変える必要はないし、ほとんどは自信を持っていい。マラソンに対して、さらに覚悟を持って取り組んでいくキッカケにできると感じています。こういった失敗も必要な失敗なんです。長くやっていて失敗するよりも、2回目で失敗してよかったんです。これからのマラソン人生に生かせるのですから」
まずはMGC出場権獲得が当面の目標だ。大会のグレードによって出場権を得る順位やタイムは違ってくるが、決して高い目標ではない。そこを意識してしまって失敗したら、2回目の失敗を生かせなかったことになる。土井は構えることなく、自然体でMGC出場権を得るだろう。 TEXT by 寺田 辰朗

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